子が障害児。育児において母親と父親の価値観の違い

家族関係

こちらでは、「育児において母親と父親の価値観の違い」についてお話していきたいと思います。

障害児育児は、毎日毎分毎秒が大変です。

一人だけで気張らずに、お父さんお母さん

みんなで向き合っていけるようにしていきましょう。

ところでこんな会話、身に覚えありませんか?

子供の面倒をもっとみてよ!

子供が俺の方に来ないんだよ

 

普段から面倒をみないからそうなるのよ!

ママの方がいいって言うんだから

仕方がないだろう?

俺は面倒みようとしているんだ

もーあなたは何もわかっていないわ!

 

 

 

親という存在

我々は、親という経験をしたことが無くても

「子」は誰しもが通ってきた道であり、経験済みです。

大人になった今でも私たちには生みの親育ての親がいて、

その親の子であることに変わりありません。

皆さまは、いつ・どのような時に

「(私・僕が)ついに親になったなんだな。」

と実感したか覚えていますか?

母親・父親それぞれタイミングが異なると思います。

また、皆さま自身からみた親はどういう存在ですか?

 

子の視点からみた親

私たちは皆生まれてきている以上、親という存在が居ます。

現在どういった関係であれ、親は親です。

自分がこの世に生まれてきたときに、

「あ、この人親だ」

と認識することは難しく困難です。

では、自分が赤ちゃんのとき

「この人は自分のお母さん・お父さんだ」

と認識するようになったのでしょう。

1日1日を過ごすうちに

要求を満たしてくれる存在がいたら

どうでしょうか?

お腹すいた・・おむつが気持ち悪いなど

様々な要求があります。

では、たったの一度きりミルクを飲ませてくれた人に

絶対的な信頼を寄せることはできると思いますか?

想像してみてください。

離乳するまで約1年間毎日全くの別人が日替わりでお世話をしてくれていたとしたら

その子は誰を親として認識するのでしょうか?

 

定型発達と発達遅延・発達障害

赤ちゃんの父親を認識する時期は

大体7~8か月と言われています。

お母さんに対する認識はもっと早いと言われています。

これは定型発達のお子さんの場合です。

では、発達遅延・発達障害のお子様の場合はどうでしょうか?

7~8か月、もしくは障害の程度によって

それ以上の時間が必要になってくるでしょう。

 

 

ある日突然親になる父親

何人かのお父様にお聞きしたことがあります。

「自分の子が生まれたという実感が湧いたのはいつですか?」

あるお父さんは、

「立ち合い出産で、生まれた我が子を抱っこしたとき」

またあるお父さんは

「我が子に「パパ」と呼ばれたとき」

他にも

「小学校高学年になって、会話のやり取りが成立するようになってから」

など様々です。

一番驚いたのは

「未だに俺の子か?と思う時がある」

です。

女性は妊娠したかも・・・?

という時点で大きな変化が生まれ、

産婦人科受診・エコー検査・心拍確認・胎動

など認識するきっかけが多くあります。

反対に父親であるお父さんは「出産」というものを

経験してないため、親になった実感が湧くまでに

大きな個人差が生まれてしまうのでしょう。

実感がわかないままの子育て

早々に子育て・家事に協力的なお父様は

こちらはスキップしていただけたらと思います。

我が子が生まれ、親という認識がないまま育てることは

育児の数ある壁を更に高くしてしまうでしょう。

「どうしたらいいのかわからない」

「俺じゃ無理」

そう感じることも多くあると思います。

では、母親はそう思うことはないと思いますか?

 

母親は全てを投げ出すことができない

全ての母親がそうであるとは言い切れません。

ただ、育児・夫婦関係に悩んでいる母親の多くは

「どんなに大変でも全てを投げだすことはできない」

だから悩んでいるのです。

「嫌い、あっちいって」

何度言われたかわかりません。

「何もかもが気に入らない」

全力でぶつかってきます。

だからこそ

「お願い、もう少し協力して」

と思うのです。

 

たった一度

「パパの方がいい」

と言われたところで

「私には無理、全部お願いね」

とはならないのです。

発達障害児の子育ては協力が不可欠

定型発達のお子さんでも大変な子育て

発達に偏り・遅れがあると更に大変なのです。

親として、

・何をしなくてはならないのか

・何ができるのか

書き出してみてください。

その後夫婦で書き出した用紙を見せ合って、摺り合わせをしてみてください。

ここでめんどくさがるようでは、

なぜ親になろうと思ったのか?

なぜ子が欲しいと思ったのか?

そこからの問題になってしまいます。

日本の文化・価値観

昭和の父親とはよく言ったもので

テレビの前から動かない

水場・台所仕事は女の仕事

長年培ってきたこの考え方を

持ち合わせている義実家・自身の実家であれば、

中々その思考の癖を改めていくのは長く時間を要するでしょう。

時代の変化

今の時代は共働き世代が主流です。

しかし障害の程度によっては外に働きに出られない母親も多くいます。

そこへ「専業主婦のくせに」と思うのは大きな間違いです。

 

そしてさらに

平成中期頃までには極めて少なく、社会から排除されていた

「発達障害」というものが今では幅広く認知され、

療育期間・専門医療・福祉の充実により

時代は変化しているのです。

その時代についていけてない

・男は外で仕事

・女は家で家事育児

この概念をいつまでも引きずり続けているのは

時代錯誤でしかありません。

父親と母親の育児の価値観・概念

男と女では脳の作りが違う

男には理解できない

女には理解できない

よく聞く話ではないでしょうか?

ではなぜ育児に関しては

どんどん拗れていってしまうのでしょう。

我が家の失敗談

子供の面倒を見てて

とお願いしたことがあります。

数時間ご帰宅すると、ひっちゃかめっちゃかやりたい放題の惨状が

「なんでちゃんと見てないの!!」

私は酷く激怒しました。

一度ではありません。

その度に元夫は

「ちゃんと見てたよ」

と言います。

その後は想像つくかと思いますが、

私「見てないじゃない、なにこれ!もういい」

です。

こういった数ある擦れ違いから離婚に至った私たちですが、

離婚後に適度な距離が出来たことで

冷静に話し合うことができるようになりました。

その時に、これらのやりとりの件で、も話をしました。

元夫は変わらず

「ちゃんと見てた」

と言うのです。しかしそれに追加されたものもあります。

「命に危険がありそうなことは止めた。」

「視覚的にちゃんとみてた」

です。

女脳の私には未だに「そうじゃない」と思います。

解決策

パートナーとして再スタートした今は

こうした件で揉めることはありません。

大なり小なり問題が起こるたびに

私たちが行うようになったことはこちらです

「価値観の視覚化→擦り合わせ→修正→共通認識に落とし込む」

これらの一連の流れを行うようにしました。

考え方の違いは仕方ありません。

夫婦であれ自分とは別の人間です。

思いを書き出しで言語化・視覚化することは重要です。

LINEなどメッセージでやりとりするのではなく、

同じ時間に同じテーブルで書き出すことができるように

定期的に場を設けるようにしていきたいですね。

 

最後に

ここまでお読みいただきありがとうございました。

「発達障害児の育児に必死で

いい歳した男を育てている暇はない」

一度でもそんな投稿を目にしたことはありませんか?

そう思うのはそれぞれ男性・女性目線での

育児に関しての価値観の違いから

生まれてくるのかもしれません。

まずは夫婦で

「価値観の視覚化→擦り合わせ→修正→共通認識に落とし込む」

これらの一連の作業を行っていただきたいと思います。

 

 

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