ある日突然、発達障害児の親になったらどうする?
皆さまは、子を授かる前もしくは子を授かった時に
『自分の子供が発達障害児だったらどうする? 』
と考えたことはありましたか?
結婚・妊娠・出産
好きな人と結婚し、待望の妊娠・出産。
生まれたばかりの我が子の未来を想像しては幸せを噛みしめていたのではないのでしょうか?
赤ちゃんのころは、毎日毎日ただただ可愛い。
育児は大変だけど、やはりかわいい。
寝不足でも、泣いてる理由がわからなくても愛おしい。
この頃は、「障害児」というのは無縁の世界だと思っていた方も多いのではないでしょうか?
私は1ミリたりとも考えたことはありませんでした。
異変
一人目の男の子の育児。
今思えば、あれ?と思うこともありましたが、それも今となってはの話です。
当時は周りからの「男の子なんてこんなものよ」
この言葉を信じていました。
今思えば、
・なぜ親とはぐれても遊び続けているのか?
なぜ・・?なぜ・・?
なぜこんなにたくさんのヒントがあっても気付かなかったのかと思います。
それでも当時は「我が子が障害児」という概念は私たち家族にはありませんでした。
むしろ、気付きたくなかったというのが正直なところです。
意地でも気が付きたくなった。
それが本音です。
突きつけられる現実
呼び出し
保育士さん「あのお母さん、今度お時間をいただけないでしょうか?〇〇君のことでお話があります」
これ、絶対いい事ではないな。
どうしよう。行きたくない。
出来るだけ時間を稼ぎたい。
と思っていても、逃げることは許されません。
だって親だから。
大事なことなのでもう一度。
親なんですよ。逃げられないでしょう?
行くしか道はないのです。
いざ、面談
意を決して行きました、面談。
どうだったと思いますか?
「お母さん、〇〇君の普段の様子ですが、困っています。
その場にいることが出来ません。
日課が出来ません。
皆と同じ時間に給食が食べることができません。
教室から飛び出してしまいます。
できません。
できません。
できません。
お母さん、どうしたらいいですか?」
あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
そこまで言う?というくらい傷つきました。
自分の大切な子のできないことを長々と聞かされるのです。
正直、『どうしたらいいの?じゃないよ。』と思っていました。
今だからやっとこう思えるようになりました。
きっと保育士さんは私に気付いてほしいけど、
「発達障害だよ」とは言えない分
必死に伝えようとしていたのだと。
我が子と向き合う
市に相談
保育園で面談後、家族で話し合いました。
一先ず、市役所に相談することにしました。
そこで急遽予約することになった心理士さんとの面談・発達検査。
この段階で
心理士さんに相談=解決する
と思っていました。
知らないというのはそういうことなのです。
解決すると信じ切っていました。
発達検査
そもそも発達検査ってなに?
そこからのスタートです。
初めての発達検査は3歳でした。
検査に付き添った私は愕然とします。
検査にならなかったのです。
そんなことあると思いますか?
実際あるんです。
その場に居ることが出来ないから。
逃亡するんです。
そんな我が子を見て
「普通の子よ!私の子は普通の子!」
という事は、私にはできませんでした。
なかなか現実を見ることが出来なかったのですが、刻一刻と現実から逃げられないように追い詰められていくのです。
今だから言いたい ”何よりも大切にするべき事”
子の親は父親と母親二人である
私は、保育園の面談も市への相談も発達検査も
全部一人で行きました。
その後の療育に関することもすべて一人です。
いつも思っていたのです。
なんで私一人なの?と
仕事なのは知っています。
強がって
「一人で大丈夫」
と言ったこともありました。
でもいつも不安で、悲しくて受け入れられなくて
受け入れられない自分も嫌で
そんな私に対して
「ふーん」
という態度のあなたの態度が許せないと
何度も思いました。
結果、私たち夫婦は離婚しました。
もう1人でいい
そう思いました。
今現在このような状況にある方に伝えたいです。
「その子の親は、父親・母親二人である」
仕事の変わりはいるのです。
自分じゃないと!自分しかいない!
という会社は正直言って数えきれるのではないでしょうか。
では、あなたの子の親は?
変わりはいますか?
子と母と父
当時の私は
なんで私ばかり
なんでわかってくれないの
こんなにつらいのに
と。
思っていました。
なぜ私はそう思ったのでしょうか?
なぜだと思いますか?
最近元夫に話を聞きました。
なぜうまくいかなかったと思う?と
「俺は俺で一生懸命やってたけどうまくいかなかった」
と言っていました。
お互いに頑張っている方向が違ったのです。
そしてそれをすり合わせる努力をしませんでした。
どうでもいい話はしても、しにくい話は避けようとする。
結果
お互いに頑張っているのに同一方向に頑張ることはできませんでした。
という事は、どんどん夫婦の距離が離れていきます。
でも子供にそのようなことは関係ありません。
子供にとったら二人とも大切なお母さんとお父さんです。
自分だけ、自分ばかりと考えていても何も生まれません。
私がそうでした。
復縁はしない
5年間のシングルマザー
離婚後、必死で働きながら障害児育児をしました。
しかも2人も障害児抱えてのシングルマザーです。
大変なことは想像できるけど、どうしても結婚生活を維持する気にはなれませんでした。
障害児との日常を送ることは極めて困難ばかりで
乗り越える壁ばかりです。
かつ専門家から言われるのは、
「共感してあげてください。」
「寄り添ってあげてください。」
簡単じゃないんです。
障害を受け入れることもいっぱいいっぱいなのに。
それでも必死に日々やっていくしかありません。
子からのSOS
一人でやるしかない!という状況に慣れ始めて数年。
だんだん
私、頑張ってる。
こんなに頑張ってる。
と思うことができるようになっていきました。
それに反比例するように荒れていく我が子。
なぜ?
どうして?
知識も発達障害の知識も得た。
特性に合った対応もしている。
なのになぜ?
児童相談所案件。
あと一歩で警察。
そこまで追い詰められました。
元夫に協力要請
離婚した当時は絶対に頼らない。
そう決めていました。
でも無理だったんです。
子と一緒に終わりにしてしまおうか
そう思うほどの荒れ様でした。
でも私の子はもう一人いるのです。
そこで私は元夫に連絡をいれることにしました。
「ごめん、もう一人で育てられない」
「警察に捕まるのは子か、私のどちらが先かわからない」
とにかく子の生活環境を変えたい
その一心でした。
都合がいいことはわかっています。
ただ、どうしても
実の親である元夫にしか、この子を一緒に育てられない
そう思ったのです。
夫婦関係をやり直すのではなく、
親として協力していこう
現在
平穏
そうしてまた4人で暮らしていくことになりました。
すると、子がみるみるうちに落ち着きました。
なぜか?
それは、日々何気ないことでも
寄り添う人と気付きを与える人
2役を分担して関わることができるからです。
我が子も
自分ばかりつらい
そう思っていたのです。
思い切って行動したことにより、
子に笑顔が戻った。
今はこれでよかったと思います。
私だから伝えられること
一通り経験した私だから伝えることができることがあります。
それぞれの詳細は後日お伝えしていきたいと思います。
最後に
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
私の経験をお話することで、
少しでもお役に立てれば幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
コメント